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ふるさとはどこ?

 

『ふるさとづくり』ガイドブック(内閣官房発行)の

インタビューページのお仕事をさせて頂きました。

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし …、

ふるさとってそんなイメージだけれど、東京生まれの私には

ふるさとって呼べるほどのものがないと常々思っていたところ、

このガイドブックは、違った視点での解を与えてくれた気がします。

 

「ふるさと」とは、こころのよりどころ

大都市に生まれ育った私たちにとっては、

「こころをよせる」「そこにかかわる」ことのできる場所が、

新しいふるさとになる、と。

 

明治大学の小田切徳美先生のインタビューでは、

そんな「ふるさと学」のお話から広がって

先生のご出身である横浜本町小学校校歌、

そして『あまちゃん』は優れたふるさとづくりのモデルケースである、など

誌面には書けなかった面白い話題もいろいろ。

『農山村再生』などの著書を多数書かれている小田切先生ならではの

ふるさと再生への想いにふれ、

ふるさとを見つめること、かかわることの意義を、再認識。

個人的にはちょうど山梨県道志村で

間伐ワークショップなどをやっていた時期とも重なって

お仕事ながらも、なんだか個人的に勉強させて頂いたような

忘れがたいセッションでもありました。

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rice or life…

先日、取材のついでに千葉の某所にて、田んぼで草取り初体験。
自然農法で栽培されている稲田は、
素足でどろんこになって作業できます。
身体で感じる、恵みの土の柔らかさ、気持ちよかった!!
(農薬を使っている普通の田んぼは、
素足じゃ危険で入れない?!ということも知りました)

けれどもたった1時間の作業でも、
足腰がきつい、きつい。
高齢で頑張る農家さんが除草剤を使いたくなるのも、
わかる気がしました。
持続可能なお米づくりと、食の安全、
どっちをとるかなんて簡単にはいえませんが、
田んぼを楽しむ人がもっと増えるような、
仕組みができたらいいのにね。

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YOKOHAMA love

 なぜか横浜に、ハマってしまう。

たぶん子供の頃よりも、ずっとその気持ちが強くなって

横浜育ちの大人たちは、なぜこうも地元愛が強いのか?

 

先日、仕事で浅野忠信さんのインタビューをして、

なんとなくわかった気がする。

横浜育ちの浅野さんは、子供の頃から根岸の米軍住宅の近くで暮らし

さまざまな異国文化に触れてきたという。

「横浜は港町なので、昔から外国を身近に感じる環境があったのだと思います」

たしかに、子供の頃から町にはいろんな人がいて、外国人もいて。

海の向こうからやってくる人や文化、新しいものが、

いつも身近に感じられるような、オープンなところがあった。

そして自分もまた、人と同じじゃつまんない、個性的に生きるのがいいよね?

みたいな空気が、物心ついたときからまわりを取り巻いていて。

横浜の、その懐の深さは大人になるほど心地よく感じられる。

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それは街の風景にもいえること。

 

何かあると、必ず行きたくなる場所が横浜にある。

浅野さんは、ネイティブアメリカンの伝説に喩えて、

「友達みたいな場所」は誰にでもあって、そこへ行くと自分をリセットできる、

でも人に教えてはいけないらしい、などと話してくれた。(でもわかってしまった)

 

私も何かあるとつい、行きたくなるとっておきの場所がある。

どうってことのない橋。

一見、どうってことのない場所でも、友達みたいに染みついて、

いつも温かく受け入れてくれる懐の深さ・・・それもまた横浜のいいところ。

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浅野さんインタビューは、セゾン プラチナAMEXカード会員誌6月号にて掲載。

歌舞伎、継承するこころ。

先日、中村勘三郎さん死去の報をきいて

思い出したのは、息子の六代目勘九郎さんのお話。

ちょうど9月に、対談の取材をしたばかりだった。

Kankurou Nakamura in GOETHE

ボッテガ・ヴェネタのタイアップで、

「継承する美と技」について、

美しい所作とは何か? 技を受け継ぐとはどういうことか?

を今年6代目に就任した勘九郎さんに尋ねた。

その時、印象的だったのは

「真の美しさとは、表には見えないもの。

舞台のお客さんたちには見せずに、

足さばき一つにしても、

着物の内側で血の滲むような葛藤をして作られる。

もがいて、苦しんでいるその姿こそ、美しいと思う」

そしてもがいて、もがいて、芸を磨いて

やっとつかめてきたと思ったときには、

すでに身体が思うように動かない年齢になっている。

皮肉なものだ・・・・というような話を聞いたとき、

歌舞伎の舞台裏にある、

人生をのぞかせて頂いたような気がした。

曽祖父の尾上菊五郎さんは

「まだ足りぬ、踊り踊りてあの世まで」

という辞世の句を残したという。

 

その時は、お父様の容態など一言も口にされなかったけれど

きっと家族として覚悟はされていたんでしょう。

おそらく、表には見せない壮絶な役者人生を

いつも家族として間近に見てきた勘九郎さんは、

歌舞伎の“こころ”を受け継ぐ覚悟をされていたんだと思う。

勘三郎さんのご冥福をお祈りしつつ、

勘九郎さんのご活躍をお祈り申し上げます。

 

※中村勘九郎×ボッテガ・ヴェネタ

「継承する美と技」は、ゲーテ12月号掲載


クリスマスの思い出

クリスマスになると、世間は妙に浮かれるけれど

我が家はいたって平常心で聖夜を過ごしている。

「別に、クリスチャンでもないのに」というのが彼の言い訳。

 

街がきらきらすることで、誰かが幸せな気分になるなら、

それもいいんじゃないかと思うけれど、

心の片隅で、被災地の人たちは寒い思いしていないかしら、とか

誰かに思いやりを届けるのもクリスマスの過ごし方。

なんだか、すっかり忘れてしまいたくない気がする。

 

私にとってクリスマスの思い出は

子供の頃、両親が買ってきた山崎のいちごケーキ。

去年、亡くなった父が遺した、書き損じのクリスマスカード。

ちょうどクリスマス前にいろいろ片付けていたら、ひょっこり出てきた。

まるで天国から届いた、クリスマスカードみたいにうれしかった。

「クリスマスがあなたにとって

楽しく平和でありますように いつまでも」

xmas

今年もこのカードを引っ張り出して眺めている。

 

被災地の子供たちにも、クリスマスの思い出を送るなら…。

東日本大震災ふくしまこども寄附金

(福島県 児童家庭課に直接振り込まれます)



セヴァン・スズキの20年後に。

以前取材した「ルイ・ヴィトンの森にて。」という

坂本龍一さんのインタビュー記事が、Web GoetheにもUPされました。

これは雑誌『ゲーテ』用に書いたもの。

 

この時、坂本さんのコメントを聴きながら

インタビューを原稿に書き起こしている際に

ふと思い浮かんだのが、セヴァン・スズキの言葉でした。

「人類、そして3000万種の生物からなる

地球の家族の未来のために、

メイク・ユア・アクション、行動せよ」

20年前、リオで開かれた環境サミットで、

12歳の少女が感じるままにストレートに訴えたスピーチは、

いま振り返ってみるとまるで予言のように、

私たちに疑問を投げかけていて、ドキっとさせられます。

 

———以下、スピーチ引用。

(前略)今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。 自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。(中略)

私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。 でも私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか? あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。

こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。 まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。 あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。 そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

 

ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。 でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。 そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです

———————————-(後略)

いま、一つ一つの言葉が、日本の私たちに突き刺さります。

あれから20年後、私たちは何か進歩できた?

せめていま目の前にある選択から、make action、

ちゃんと考えて行動しなければと思うのです。

関連 記事掲載:

Web Goethe ルイ・ヴィトンの森にて。

 

 

川俣正展 がらん、とした中に

BankArt NYKで開催中の川俣正展へ。

川俣さんのインスタレーションは、

何か、ざらざらした記憶を呼び覚ますような、不思議な感触。

解体された廃材などを使った、木製パレットの山や、

バラック小屋みたいなものも、倉庫だったこの場所で見ると、

妙に馴染んで見えて、埠頭の作業場に来ているような錯覚に。

見捨てられ、やがて忘れ去られる廃材が、つかのま息を吹き返した場所。

そこは、しんと静かであたたかい。

少々、ぎこちないバランスは今にも動きだしそうな野生味となって。

 

Expandというテーマどおり、

この場所、この空間にある地霊のような気配が、

作家のインスピレーションとともに、拡張されていくのかもしれない。

2階、3階のフロアは、まだ作りかけのがらん、とした空間だった。

このがらん、とした感覚も、なんだか日本的な気がして気持ちよかった。

Hawaii、自然と調和した島のひみつ

先日、はじめてのハワイへ。

といっても観光ではなく、某カード会社さんのお仕事でしたが。

エメラルド色の海を間近に見ながら、海に入れたのはわずか3分!

という強行スケジュールでしたが、仕事だからこそ出会った人や場所は

今回のハワイでの収穫となりました。

 

まず、今回のハワイで知ったのは、

徹底した地産地消主義。

どこのレストランへ行ってもこの言葉を聞きました。

パシフィック・リム・キュイジーヌを島に広めたといわれるロイズでは、

ハワイ産の野菜、ハーブや魚介類にこだわり、

まず島の生産者を育てることから始めたといいます。

今では、ハワイでポピュラーとなった

パシフィック・リム・キュイジーヌも、

そんな食のクリエイターの努力があったからこそ。

おいしさの追求が、島おこしにもつながっているんですね。

 

でも意外だったのは、肉だけはアメリカ産ということ。

なぜかというと、ハワイには屠殺場がないというのが理由。

宗教上の理由から、殺生を行わないというのもハワイらしいですね。

ウルポ・ヘイアウにはお供えが

そして一般観光客にあまり知られていないという

オアフ島最古の神殿、ウルポ・ヘイアウにも立ち寄りました。

王族たちの出産の場所だったという石積の聖地。

石や木に神が宿るという多神教的な感覚は、日本にも似てますね。

そういう古来の感覚は、

いまも自然と調和した暮らしとなっているのでしょうか。

青空に向かって積み上げられた無数の石の山を見ていると、

その昔、人々は祈りをこめてこれを築いたんだなと、何か尊い気持ちになります。

 

「ここはハワイの人にとって神聖な場所だから、お尻を向けちゃダメよ」

とコーディネーターさんに言われて、ここを立ち去るときは

みんなで後ろ歩き・・・。楽しく不思議な光景でした。

 

Stay hungry, Stay foolish・・・。

スティーブ・ジョブス氏の訃報に触れて、

もう一度、あの名演説を聞き返してみた。

スタンフォード大学卒業式での、2005年のあの伝説のスピーチ。

“人生で得た3つのストーリー”は、たくさんの勇気を与えてくれる。

 

「最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。

心と直感は本当になりたい自分をすでに知っている」

 

「先を見通して点をつなぐことはできない。

振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形でつながると信じなければならない」

 

「ハングリーであり続けろ、愚かであり続けろ」

 

その言葉の一つ一つを、自分に置き換えて考えてみると、

しんしんと勇気がわいてくる。

きっと世界中の多くのジョブスファンが、

同じ気持ちでいるんだろうな、 と思うとなおさらに。

 

2011.10.06 apple HPより

コンピューターの世界は、

ジョブス時代から、ジョブス喪失時代へと 変わってしまうんだろうか?

たとえカリスマを失っても、

新しい技術に、愛情やデザイン美学があることを願いたい。

スティーブ・ジョブス伝説のスピーチ

 

 

昨日CEATECという大規模な技術展へ出かけたけれど、

そこにあふれる暮らしの“スマート技術”の数々、

たしかにスゴイと思ったけれど、

果たしてそこに、どれほど製作者の愛情や美学がこめられているのか?

多くは、生活者のスタイルや、製作者の顔、情熱が、

どこかあいまいな感じがして 主役不在の印象を受けた・・・・(詳しくはまた今度)。

 

喩えるなら、それはマイクロソフトのように誠実ではあるけれど、

日常をシェアしたい! と思うようなエモーショナルな魅力には欠けるかも。

 

そんななかでも、私たちは Stay hungry, Stay foolish・・・、

そしてもう一つ付け加えるなら、love the earthでいたいと思う。

 

スティーブ・ジョブス。安らかに。そしてありがとう。

足元にも目を向けよ

ときどき、アンチ・ファッションな気持ちが募る。

先日は、地域のごみ拾いウォーク、数キロを楽しんだ。

横浜市環境事業推進委員なんてやっているお陰で。

地域の3R=reduce、reuse、recicleを推進するのが目的だ。

毎日あるいている歩道も、意識を変えてみると

そこ、かしこに、あるある!

ごみ拾いをしていると、大きなごみを見つけるほど

なぜか気分が高まる。

と同時に、空き缶やプラスチックなど、

人工的なモノがいかに多くの人にポイ捨てされ、

土に還ることなく眠っているのかということを知り、悲しい気持ちになる。

以前『人類が消えた世界』by アラン・ワイズマンの本が話題になったけれど、

人類滅亡後の100年後も、人工廃棄物や、放射性物質は消えることなく

地球の生態系を破壊し続ける・・・・という科学的ホラーにゾっとした。

そんな世界は、空想ごとじゃなくなりつつあるいま・・・。

ときには、足元に目を向けることも大事です。