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「花森安治の仕事」から

『コトレシピ ライフスタイル版』の編集長の話を頂いたときに、

ふと思い出したのが『暮らしの手帖』だ。

「これはあなたの手帖です。

いろいろのことが ここには書きつけてある。

この中のどれか 一つか二つは

すぐ今日 あなたの暮らしに役立ち

せめてどれか もう一つか二つは

すぐには役に立たないように見えても

やがて こころの底ふかく沈んで

いつか あなたの暮らし方を変えてしまう・・・・」という巻頭言は、

私もいたく共感したことを覚えている。

その雑誌を作った伝説の編集長、花森安治について書かれた

「花森安治の仕事」という本を読んだ。

そこには花森が消費者目線で、とことん「気持ちのいい暮らし」を考え抜いたという、編集のスタンスが書かれていた。広告を一切入れず、独立独歩、言いたいことはきっぱり言う。それでいて日本のメーカーが、もっといいものが作れるようにとの愛情も欠かさない。

しかし衝撃だったのは、花森がかつて大政翼賛会で国威宣揚のためのコピーを書いていたという事実。「欲しがりません、勝つまでは」も実は花森のコピーだったという経緯が紹介されている。けれども戦争に加担したという呵責の念が、戦後、花森を変えた。
「こんどの戦争に、だれもかもが、なだれをうって突っ込んでしまったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしていなかったからだと思う。人は暮らしの中身が貧しいと投げやりになる。(中略)あったかい家庭があれば、戦争にならなかったと思う。そういう家庭をつくるためには、女の人がだいじだ」—-それが『暮らしの手帖』の原点だったんだと思う。

 

いままた、なんとなく危なっかしい感じがする世の中で、

私たちはあったかい家庭、人とのつながりを大切にする暮らしを、

大事に育んでいかなければと思うのです。

花田安治の仕事

 

 

ふるさとはどこ?

 

『ふるさとづくり』ガイドブック(内閣官房発行)の

インタビューページのお仕事をさせて頂きました。

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし …、

ふるさとってそんなイメージだけれど、東京生まれの私には

ふるさとって呼べるほどのものがないと常々思っていたところ、

このガイドブックは、違った視点での解を与えてくれた気がします。

 

「ふるさと」とは、こころのよりどころ

大都市に生まれ育った私たちにとっては、

「こころをよせる」「そこにかかわる」ことのできる場所が、

新しいふるさとになる、と。

 

明治大学の小田切徳美先生のインタビューでは、

そんな「ふるさと学」のお話から広がって

先生のご出身である横浜本町小学校校歌、

そして『あまちゃん』は優れたふるさとづくりのモデルケースである、など

誌面には書けなかった面白い話題もいろいろ。

『農山村再生』などの著書を多数書かれている小田切先生ならではの

ふるさと再生への想いにふれ、

ふるさとを見つめること、かかわることの意義を、再認識。

個人的にはちょうど山梨県道志村で

間伐ワークショップなどをやっていた時期とも重なって

お仕事ながらも、なんだか個人的に勉強させて頂いたような

忘れがたいセッションでもありました。

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rice or life…

先日、取材のついでに千葉の某所にて、田んぼで草取り初体験。
自然農法で栽培されている稲田は、
素足でどろんこになって作業できます。
身体で感じる、恵みの土の柔らかさ、気持ちよかった!!
(農薬を使っている普通の田んぼは、
素足じゃ危険で入れない?!ということも知りました)

けれどもたった1時間の作業でも、
足腰がきつい、きつい。
高齢で頑張る農家さんが除草剤を使いたくなるのも、
わかる気がしました。
持続可能なお米づくりと、食の安全、
どっちをとるかなんて簡単にはいえませんが、
田んぼを楽しむ人がもっと増えるような、
仕組みができたらいいのにね。

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YOKOHAMA love

 なぜか横浜に、ハマってしまう。

たぶん子供の頃よりも、ずっとその気持ちが強くなって

横浜育ちの大人たちは、なぜこうも地元愛が強いのか?

 

先日、仕事で浅野忠信さんのインタビューをして、

なんとなくわかった気がする。

横浜育ちの浅野さんは、子供の頃から根岸の米軍住宅の近くで暮らし

さまざまな異国文化に触れてきたという。

「横浜は港町なので、昔から外国を身近に感じる環境があったのだと思います」

たしかに、子供の頃から町にはいろんな人がいて、外国人もいて。

海の向こうからやってくる人や文化、新しいものが、

いつも身近に感じられるような、オープンなところがあった。

そして自分もまた、人と同じじゃつまんない、個性的に生きるのがいいよね?

みたいな空気が、物心ついたときからまわりを取り巻いていて。

横浜の、その懐の深さは大人になるほど心地よく感じられる。

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それは街の風景にもいえること。

 

何かあると、必ず行きたくなる場所が横浜にある。

浅野さんは、ネイティブアメリカンの伝説に喩えて、

「友達みたいな場所」は誰にでもあって、そこへ行くと自分をリセットできる、

でも人に教えてはいけないらしい、などと話してくれた。(でもわかってしまった)

 

私も何かあるとつい、行きたくなるとっておきの場所がある。

どうってことのない橋。

一見、どうってことのない場所でも、友達みたいに染みついて、

いつも温かく受け入れてくれる懐の深さ・・・それもまた横浜のいいところ。

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浅野さんインタビューは、セゾン プラチナAMEXカード会員誌6月号にて掲載。

歌舞伎、継承するこころ。

先日、中村勘三郎さん死去の報をきいて

思い出したのは、息子の六代目勘九郎さんのお話。

ちょうど9月に、対談の取材をしたばかりだった。

Kankurou Nakamura in GOETHE

ボッテガ・ヴェネタのタイアップで、

「継承する美と技」について、

美しい所作とは何か? 技を受け継ぐとはどういうことか?

を今年6代目に就任した勘九郎さんに尋ねた。

その時、印象的だったのは

「真の美しさとは、表には見えないもの。

舞台のお客さんたちには見せずに、

足さばき一つにしても、

着物の内側で血の滲むような葛藤をして作られる。

もがいて、苦しんでいるその姿こそ、美しいと思う」

そしてもがいて、もがいて、芸を磨いて

やっとつかめてきたと思ったときには、

すでに身体が思うように動かない年齢になっている。

皮肉なものだ・・・・というような話を聞いたとき、

歌舞伎の舞台裏にある、

人生をのぞかせて頂いたような気がした。

曽祖父の尾上菊五郎さんは

「まだ足りぬ、踊り踊りてあの世まで」

という辞世の句を残したという。

 

その時は、お父様の容態など一言も口にされなかったけれど

きっと家族として覚悟はされていたんでしょう。

おそらく、表には見せない壮絶な役者人生を

いつも家族として間近に見てきた勘九郎さんは、

歌舞伎の“こころ”を受け継ぐ覚悟をされていたんだと思う。

勘三郎さんのご冥福をお祈りしつつ、

勘九郎さんのご活躍をお祈り申し上げます。

 

※中村勘九郎×ボッテガ・ヴェネタ

「継承する美と技」は、ゲーテ12月号掲載


Hawaii、自然と調和した島のひみつ

先日、はじめてのハワイへ。

といっても観光ではなく、某カード会社さんのお仕事でしたが。

エメラルド色の海を間近に見ながら、海に入れたのはわずか3分!

という強行スケジュールでしたが、仕事だからこそ出会った人や場所は

今回のハワイでの収穫となりました。

 

まず、今回のハワイで知ったのは、

徹底した地産地消主義。

どこのレストランへ行ってもこの言葉を聞きました。

パシフィック・リム・キュイジーヌを島に広めたといわれるロイズでは、

ハワイ産の野菜、ハーブや魚介類にこだわり、

まず島の生産者を育てることから始めたといいます。

今では、ハワイでポピュラーとなった

パシフィック・リム・キュイジーヌも、

そんな食のクリエイターの努力があったからこそ。

おいしさの追求が、島おこしにもつながっているんですね。

 

でも意外だったのは、肉だけはアメリカ産ということ。

なぜかというと、ハワイには屠殺場がないというのが理由。

宗教上の理由から、殺生を行わないというのもハワイらしいですね。

ウルポ・ヘイアウにはお供えが

そして一般観光客にあまり知られていないという

オアフ島最古の神殿、ウルポ・ヘイアウにも立ち寄りました。

王族たちの出産の場所だったという石積の聖地。

石や木に神が宿るという多神教的な感覚は、日本にも似てますね。

そういう古来の感覚は、

いまも自然と調和した暮らしとなっているのでしょうか。

青空に向かって積み上げられた無数の石の山を見ていると、

その昔、人々は祈りをこめてこれを築いたんだなと、何か尊い気持ちになります。

 

「ここはハワイの人にとって神聖な場所だから、お尻を向けちゃダメよ」

とコーディネーターさんに言われて、ここを立ち去るときは

みんなで後ろ歩き・・・。楽しく不思議な光景でした。

 

Stay hungry, Stay foolish・・・。

スティーブ・ジョブス氏の訃報に触れて、

もう一度、あの名演説を聞き返してみた。

スタンフォード大学卒業式での、2005年のあの伝説のスピーチ。

“人生で得た3つのストーリー”は、たくさんの勇気を与えてくれる。

 

「最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。

心と直感は本当になりたい自分をすでに知っている」

 

「先を見通して点をつなぐことはできない。

振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形でつながると信じなければならない」

 

「ハングリーであり続けろ、愚かであり続けろ」

 

その言葉の一つ一つを、自分に置き換えて考えてみると、

しんしんと勇気がわいてくる。

きっと世界中の多くのジョブスファンが、

同じ気持ちでいるんだろうな、 と思うとなおさらに。

 

2011.10.06 apple HPより

コンピューターの世界は、

ジョブス時代から、ジョブス喪失時代へと 変わってしまうんだろうか?

たとえカリスマを失っても、

新しい技術に、愛情やデザイン美学があることを願いたい。

スティーブ・ジョブス伝説のスピーチ

 

 

昨日CEATECという大規模な技術展へ出かけたけれど、

そこにあふれる暮らしの“スマート技術”の数々、

たしかにスゴイと思ったけれど、

果たしてそこに、どれほど製作者の愛情や美学がこめられているのか?

多くは、生活者のスタイルや、製作者の顔、情熱が、

どこかあいまいな感じがして 主役不在の印象を受けた・・・・(詳しくはまた今度)。

 

喩えるなら、それはマイクロソフトのように誠実ではあるけれど、

日常をシェアしたい! と思うようなエモーショナルな魅力には欠けるかも。

 

そんななかでも、私たちは Stay hungry, Stay foolish・・・、

そしてもう一つ付け加えるなら、love the earthでいたいと思う。

 

スティーブ・ジョブス。安らかに。そしてありがとう。

足元にも目を向けよ

ときどき、アンチ・ファッションな気持ちが募る。

先日は、地域のごみ拾いウォーク、数キロを楽しんだ。

横浜市環境事業推進委員なんてやっているお陰で。

地域の3R=reduce、reuse、recicleを推進するのが目的だ。

毎日あるいている歩道も、意識を変えてみると

そこ、かしこに、あるある!

ごみ拾いをしていると、大きなごみを見つけるほど

なぜか気分が高まる。

と同時に、空き缶やプラスチックなど、

人工的なモノがいかに多くの人にポイ捨てされ、

土に還ることなく眠っているのかということを知り、悲しい気持ちになる。

以前『人類が消えた世界』by アラン・ワイズマンの本が話題になったけれど、

人類滅亡後の100年後も、人工廃棄物や、放射性物質は消えることなく

地球の生態系を破壊し続ける・・・・という科学的ホラーにゾっとした。

そんな世界は、空想ごとじゃなくなりつつあるいま・・・。

ときには、足元に目を向けることも大事です。

ちょこっと旅

最近、旅行してますか?

しばらく自粛ムードで、街は閑散とした雰囲気でしたが、

ここのところ私の行動範囲の東京、横浜の街も

いつも通りの賑わいが復活している様子。

 とはいえ、銀座は外国人観光客が消えたせいか静かめだったり、

関東近郊の観光地もお客さんを呼ぶのに大変そう。

そんなわけで、頑張れ温泉!

と女子3人で伊豆の温泉宿へ。

沼津にある長泉山荘では、こんな緊急事態だからこそ

もっと女性に温泉を楽しんでもらおうと、

美肌倶楽部なるプランを作って頑張っています。

ひっそりとした山里に佇むお宿は、

都会からすぐ足を伸ばせる距離ながらも

のんびり、静かにくつろげる場所。

さらっとして、ぽかぽか温まる温泉も清々しい。

 

いつもの生活をすることが、

誰かの励みになる。

仲居さんの気さくな笑顔にも癒されました。

長泉山荘HP

ダライ・ラマのグローバル目線

6月26日にパシフィコ横浜で行われたダライ・ラマ来日講演に行ってきました。

これまでも著作を拝見し、ダライ・ラマの平和に対する情熱と慈悲の精神に関心を持っていたのですが、念願かなって肉声を聞くことができました。

実際に講演を聞いてみて感じたのは、ダライ・ラマの主張は、想像していた以上にとてもグローバルで、ビジネスや生活にも応用できる実践的なものであるということ。

「ひと昔前までは、世界は私たちの国、あの人の国というように、国家がそれぞれ分離していた。私たち、彼らの間にバリアがあり、戦いが起きた。しかし現在、世界は相互関連の状況にある。互いに依存したって存在している。アメリカは大きなパワーを持ち(続く) 続きを読む ダライ・ラマのグローバル目線